ただの雑駁

理屈と均整を求めたがります。仕方ないですよね。人間だもの。

あの作品見ていないの?

「あの作品見ていないの?人生損しているね。」

ではなく

「あの作品見ていないの?羨ましい。記憶をなくしてもう一回見たいわ。。。」

と思ってしまう人間です。知らずと相手側にマウントを取られた気分になります。

そんな私が、記憶をなくさずとも、もう一度見たいドラマはやはりゲーム・オブ・スローンズでしょうか。

ゲーム・オブ・スローンズ(略称:GOT)はアメリカのHBOが制作した言わずと知れた大人気海外ドラマですよね。オバマ元大統領とかもファンだって聞きます。シーズンが8まであって、一話が50分くらいなので通しで見るのにすっごく時間が掛かってしまうので、おいそれと見始めることが難しい作品だとも思いますが、取りあえずの勢いでシーズン1を見てしまうと、シーズン6くらいまではダレずに視聴まっしぐらだと思います。IMDB(海外のメディア評価サイト)でも評価値は9.3とめちゃくちゃ高いです。

GOTってスゴく面白いのですが、話数の多さだったり、人物相関図の複雑さだったりで「暇なときにゆっくり見ていこう。」って感じだと結構しっかり覚えていないと内容が頭から消し飛んでしまうんですね。なので、年末年始とか長期休暇にイッキに見てしまうのがオススメです。

あと、GOTって日本人の場合、字幕・吹替論争が勃発するんじゃないかな、と勝手に思ってます。
ちょっと詳細は言えませんが、字幕(英語)だから成り立つシーンとかもちょっとあったりしているんですね。吹替でもまぁ分からんでもないんですけど、字幕の方がしっくり来るんかな、と。
ただ、吹替は吹替ですっごく声優さんが豪華でオススメでもあるんですね。本田貴子さんとか、森川智之さんとか、福山潤さんとか。

まぁ、些細な違いなのでどちらでも楽しめることは間違いないです。

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今週のお題「もう一度見たいドラマ」

自由、小さな幸せ

最近、森博嗣の「馬鹿と嘘の弓」という小説を読みました。
この作品は森博嗣のXシリーズと呼ばれるシリーズ作品の続きで描かれた作品です。

正直、こと日本においては現代社会で生きるためにすべきことがあまりに無くなりましたよね。
仕事を失ったら死にますか、親に捨てられたら死にますか、自由に振る舞ったら死にますか、他人を殺したら死にますか?

死にませんよね。

昔は生きるためにすべきことが多く存在していて、食うために何かを為さなければ死にますし、子のまま捨てられたら死にますし、社会の規則に反すると殺されることもありましたよね。
現代社会において、生きるために行うことが極端に少ないため、生きるために行うことは生きることを助長する行為でしかないんでしょうね。豊かな生活や良好なコミュニティ、自己の欲求を満たすための行為に近しいかもしれません。
森博嗣は未来において、働くことはレジャーになると書いています。レジャーってつまりは「余暇の遊び」なんですね。某SF小説でも未来において人類が行うことは人を愛することだけになる。とかって表現とかもありますね。こういうの結構好きです。

まぁ、上記のようなことをつらつらと書いている面もこの小説ではあるのですが、以下のように書いている面もあったりします。

「小さな幸せ? ああ、そうね。」
「そういうのって、やっぱり、幼いとき、子供のときに、家族とか、お母さん、それから兄弟、近所の人たち、そういうところから来るものだよね。それを覚えているから、大人になっても、周囲で見つけようとするし、自分でも、少し辛抱して、確かに小さな幸せをあげようって考えるんだよなぁ。」

(馬鹿と嘘の弓/森博嗣


子供のときって無条件に、接する人はみな自分に優しいんだ。って思い込んだりするかと思います。
知らない感情を何もなしに生み出すことはできないんだと思います。子供の頃の小さな幸せが大人になったその人のちょっとした感情を紡いだりすることって、多分にあると私も思います。
こういうちょっとした、小さな幸せが積み重なって、余暇の遊びのような事象を許容したり、求めたり、与えたりするのでしょうか。

そうだったら良いなと、少しだけ想います。

現状維持は停滞

今の状況にそこはかとなく違和感があるものの、深く気にせずに生きていける状態ってあると思います。
所詮、生き死にや多大なデメリットを被ることが無い限りは、真剣に考え始めないんですね。現状を崩す労力のほうが嫌がるんですよ。だから、辞める辞める詐欺の会社員とかが居るんですよね。大体、周りに言う人ほど辞めないって聞きます。事実でしょうね。

そこそこの企業に勤めたり、充実した生活が送れたりすると、そこはかとない違和感のために崩したりしないのが普通の人だと思います。このそこはかとなく感じる部分って、損得勘定じゃなくて気持ちの問題かな、と考えています。ベクトルは色々あれど、ちょっとした棘なんですね。

現状を変えたい。って思うと「何を為すべきか」って気になりますけど、そうじゃなくて、たぶん「どう在りたいか」が大切なんじゃないかと考えます。
何かをやりたいならやれば良いんですよね。でも、結局は何故やりたいかを考えると、自分の立ち位置を見直すことになると思うんですよ。漠然と資格勉強とか始めると長続きしないのと似ているかもしれません。実行ベースで考えるから、その先が、何故それを実行するのかが抜けてしまって、自分の在り方が迷子になるんですね。なんの為に、なにをするのか、そしてそれが自分にどう関わるのか。最終的には自分の在り方を指針にすると思います。


そんなこんなで、私は色々と頭の中がぐるぐるとしているんですが、最近はとても迷子です。
学生の頃は、お金もスキルも人脈もなくて、時間だけがあるなか何をしたいか、どう生きたいかを色々と考えていましたけど、
いざ、社会人になって足りない部分が埋まっても、学生時代の構想とかを実行していない自分にとても嫌気が指しています。社会ステータスも安定した収入も作業環境も要らなくなったのに、夢想したことをやれないんですね。
考えてしまうと決断が鈍るタイプなので、考え続けて納得するしかないのはわかっているのですが、決断に至れないのが我ながら臆病者だなぁ、と思ってます。。。

我々は如何にして旨い麻婆豆腐を家庭で作るのか。

家庭の男料理といえば、中華。そして、中華といえば麻婆豆腐。異論は認めます。

我々、独身男性の永遠の命題である、如何にして旨い麻婆豆腐を作るのか。先日、その最適解とも呼べる情報が公開されました。

そう、陳建一による家庭向け麻婆豆腐の作成動画です。

この動画、お店で作り上げた麻婆豆腐ではなく、家庭向けに作るための方法として陳建一自らが説明と調理をします。
中華鍋の代わりにフライパン、火力に変わりIHコンロ、ニンニクはチューブを使い、鶏ガラスープの代わりに水道水をぶち込みます。如何にして家庭で旨い麻婆豆腐を作るかをマジもんの陳建一が教えてくれる神動画です。

久々に料理動画を16分も真剣に見ましたね。

youtu.be

あと、一つだけ突っ込みたいのが、一般家庭に「豆鼓」は無いから。。(これだけ足りない。。)

ペンギン食堂 石垣島ラー油

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ふるさと納税をパパっと決める時期

今年のふるさと納税決めてないなぁ、と思ってパパっとふるさと納税を決める時期になりましたね。
私の周りではあんまりふるさと納税をしている人がいなかったので、つらつらとメリデメを説明して、ふるさと納税返礼品飲み会を実施したこともあります。

これは偏見ですが、ふるさと納税をしていない人は年末調整の控除とかも適当にやってそうですね。独身でも扶養控除したり、保険料控除できたりするんですけどね。。。
ふるさと納税って昔は確定申告を自分でしなければならなかったんですけど、今はワンストップ特例っていう制度があって、自治体に書類を一枚出すだけで控除できるのが手軽でいいですね。
どうせサラリーマンなんて給与天引きで勝手に引かれていくんですから、意識的に払うか、無意識で払うかですよ。どうせ意識的に払うなら、ちょっと名産品でも貰っとくか。くらいの感覚で良いと思います。

あと、ワンストップ特例の注意点としては、5つの自治体までに申請が限定されることくらいでしょうか。1つの自治体に1諭吉としても、5つの自治体に申請できる人って、年収500万くらい無いと控除上限額に達してしまうので、多くの若者は気にする必要ないですね。
気にせず、ワンストップ特例を使って納税しましょう。

www.furusato-tax.jp

他人からの「この人は〇〇」ほど、どうでもいいことはない。

友人関係って何処から発展するか、けっこう謎だと思うんですよ。
職場のなかとか、昔の同級生とか、趣味とかのコミュニティとか、ネットとか。そんな中でまぁ頻度が高いのが「友人の友人」を紹介されるパターンが私は多いです。
私に限らずこのパターンが多いんじゃないかなぁ、と勝手に思っています。根拠はありません。

そんな「友人の友人」を紹介される際に、高い頻度で言われる言葉が「この人って〇〇で、✗✗が凄いんですよ」とか紹介相手を褒めたり、持ち上げたりして紹介するパターン。

これ、心底どうでもいいと感じます。「いや、自分で判断するわ。」って感じですわ。

だいたい前評判を高めておくのって、その後にその人を知っていく上でハードル上がりませんかね。。出会い頭の印象を良くしたい気持ちも分かりますけど、そんなん気にしている時点でどうなんですかね。自分から見た他人ですら一定のバイアス掛かるっていうのに、その他人にフィルタ掛けた状態で何が見えてくるんでしょうね。読み解くのが複雑になるだけですよ。

友人関係にとどまらず、ちょこっと知り合いを紹介する際にも同じようなことする人がいます。これもまた同様に、心底どうでもいいです。
「私の友人凄いでしょ」系は特にそうですね。大して親しくもない人に言われると嫌悪感しか湧き出てこないですね。「いや、お前関係ないだろ。」って感じですわ。そもそも、自分の知り合いのことを引き合いに会話しても、一ミリも自分の話になっていないことに気づいていないんですかね。。

ちなみに、他人からの「この人は〇〇」ってパターンが活用できるのは、プライベートではなく仕事かなと。仕事は前評判あっても、前評判通りなら良し、駄目なら切り捨て、っていう理性的な行動が取れますからね。。。

頼むからプライベートで使ってくれるな、と思ってます。

仕事ができるってなんなんでしょうね。

仕事ができるって何なんでしょうね。
人によって定義が異なるんじゃなかろうか、と思います。仕事って多くは個人で行わないので、一定の集団の中での定義が在ると思います。勿論、個人での定義もできると思います。

個人では以下の様な感じ?
・生産性の高い人(作業が速い、作業が正確、などなど)
・何でもできる人(スキルの幅が広い、応用力がある、などなど)

集団においては以下の様な感じ?
・作業を仕切れる人(プロジェクト管理、メンバー管理、などなど)
・誰とでも働ける人(個人の人格に左右されない人、異文化・他言語でも対応できる人、などなど)

多分こういうのが人によって色々と出てくると思います。
個人的に最近思う仕事ができる人は、「目的と手段と結果の判断がズレない人」かな、って思っています。初歩的な例を述べると、何かを問われたときに正確に問われたことに対する回答を出来ること。とかです。
何を問われており、何が必要で、どのような回答をすべきか、がズレていないことです。

仕事をしていると結構こういうのがズレていることがあるなぁ、と感じます。
ズレてしまうと、なんか作業が歪むんですよね。。アプローチが歪んでいるから結果も歪んでしまって、結局最後の方になって気づくとか。。
一般的に良い問いは良い回答より大切、とかって言いますけど、あれと同じだなと。目的に対する手段がズレなくて、結果の判断まで一貫してる人は仕事していて安心しますし。
個人のスキルとかリーダーシップとかより、仕事できるなぁ、と思ってしまいます。