ただの雑駁

理屈と均整を求めたがります。仕方ないですよね。人間だもの。

情報の公平性

過酷な時期っていざ振り返って見ると良い経験だった。というオチが多いですよね。「なんであの時あんなに取り乱したんだろう」とか、「あの時にもう少し優しくできていれば」とか、後々になって反省かましたりするんですよ。
こういうのって結論、全体感が見えていないから起こりうる気がします。過酷な状況に置かれると、自分が今何処に居て、何をして、何処へ行くのか、全然わかんない思考状態になってしまいます。

ここで大切なのは情報の公平性ではないでしょうか。公平性が保たれていることが、全体感を把握する第一歩のような気がします。勿論、情報を与えられても判断や理解が出来ないこともあると思います。でもそれって、つまるところ自分の力量が足りていない証拠です。
公平性が保たれている場合は、どんな立場であっても理解を及ばせることは可能だと思います。あとは本人の意識ですよね。

この情報の公平性っていうのを局所的に話しましたが、拡大解釈も可能です。今のご時世の情報の公平性なんて半端じゃないですよね。ただ、その情報に溺れてしまう人が多いから、綺麗に精査できる人が強かったり、優柔不断な人が永遠と迷いだしたりするんじゃないでしょうか。
今はまだ環境に適応している最中ですが、いずれはどちらかに偏った思考になっていくのかもしれません。