ただの雑駁

理屈と均整を求めたがります。仕方ないですよね。人間だもの。

理解できないものは許容できない

私のお気に入りの漫画の一つに「アスペル・カノジョ」という作品があります。
タイトルから想像する通り、彼女がアスペルガー症候群であり、その彼女と向き合うお話です。

人って理解できないものを許容できない生き物です。自分と他者を比べて相互理解を深めようと試み、それが理解できないものであると遠ざけたり、忌避したりするのではないでしょうか。
有り難い事に法治国家であるがゆえ、他国と比べ、そこまでの格差社会を生まずに生活できている国なので、多くが義務教育を受ける等の同様の生活が出来ていると思います。
そうした共通的な社会の中では顕著ですよね。これは個人的な問題ではなく、生物学的に集団で生きることを選択した「人」の特徴だと思います。

話は戻りますが、他人なんて理解できないって思っています。ただ、自分にある物差しでなんとなく分かった気になっているだけです。その物差しの有無とそれを自覚するところから始まるのではないでしょうか。
一言に「障害だから理解できない」なんて考え方、悲しすぎると思ってしまいます。もちろん、私が障害について実体験を経ていないので、なんとも言えないのも確かですが。
でも、他人がそうした異なる特性を持って生きていて、必ずしも自分の物差しに当て嵌まることがないということが分かっていれば、少しは違った景色になると、そう思います。

私はそういった意味でこの漫画からは学びしかないと感じています。私の知らない世界です。将来的に関わる世界かもしれませんし、自分の在る世界に置き換えてみてもコミュニケーションというところでは同一の解釈ができます。
分かった気になるのが恐ろしいですが、分かろうとしないのはより恐ろしいです。

だから私はこの作品を読んでいます。少しでも気付きになれば、少しでも理解できれば。