ただの雑駁

理屈と均整を求めたがります。仕方ないですよね。人間だもの。

そんなことは至極どうでもいい

何でも「出来る」ってことは、何も「出来ない」ってことに近いと感じます。
何でも好きな人が、何も好きではないと思えることに近いです。

でも、この「出来る」の練度が桁違いに高いと万能な人と感じることが出来ます。
大体の場合、この領域に到達することが出来ず、何でも出来る人ではなく、何も出来ない人と認識されるのではないかと思います。

これは環境に依って異なりますし、基準によっても異なります。
ある環境では出来ない人と認識された人が、出来る人と認識されることもあります。逆も然りです。

ここまで書いて述べたいことは、そんなことは至極どうでもいい、ということです。
主観の押し付け合いだとか、マウントの取り合いだとか、どうでも良いと思っています。ただ、それを意識するまでに潰される精神だって世の中にはあったりするんです。欲求の満たし合いに敗れて消えていくなんて、凄く動物的ですよね。
自らにとっての正しさが、相手にとっては正しくない。なんてことは当たり前なんですね。